|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 段 : [だん] 【名詞】 1. step 2. stair 3. flight of steps 4. grade 5. rank 6. level ・ 儀 : [ぎ] 【名詞】 1. rule 2. ceremony 3. affair 4. case 5. matter ・ 北 : [きた, ほく] (n) north
昭儀段氏(しょうぎ だんし、生没年不詳)は、中国北斉の文宣帝高洋の昭儀(妾妻)。 東魏の段栄の娘として生まれた〔段栄の1番目の妻は婁信相(文宣帝の母婁昭君の姉、段韶の母)、継妻は梁令春。正史で段昭儀の母に関して記載はない。〕。段韶の妹にあたる。明敏な美女と謳われた。 東魏時代の高洋と段氏の新婚の夜に、段韶の妻の元渠姨〔『斉故左丞相平原王元妃墓志』〕は「鬧洞房」の風習にならって高洋に悪ふざけをした〔伝統的な中原北方の婚礼風習の一つ。新婚の夜、賓客らは花婿と花嫁に(公然たる)淫猥な悪ふざけで様々にじゃれる。みだらな姿や猥談、その他あらゆる下品な行為が行われる。〕。高洋は怒り、段韶に「お前の妻を殺したい」とまで言った。元渠姨は恐れて婁昭君(高洋の母)の家へ逃げ、二度と高洋に会わなかった。 550年(武定8年/天保元年)、高洋は北斉を建てた。この時、宗室の高徳正らは「漢人女性(高洋の正妻・李祖娥)は正宮の資格を欠きます」と諫言し、段氏を皇后に強く推した。一方、楊愔らは「漢・魏(北魏)の故事により、本妻を廃位してはなりません」と反論した。結局、李祖娥は皇后になったが、段氏は皇后とほとんど等しい待遇を受けた。 後主高緯の時代、段氏は録尚書事の唐邕と再婚した。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「段昭儀 (北斉)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|